20××年12月23日、午後17時30分。
私は東武鉄道の浅草駅ホームで、さっき自販機で買ったホットココアを片手に急行電車を待っていた。
私、サイトウタマキは入社3年目の25歳。最近ようやく1人前の仕事を任せてもらえるようになり、企画やらプレゼンやら顧客との交渉やらで忙しい日々を送っている、ごく普通のOLである。ここ1ヶ月は新規事業の立ち上げプロジェクトの一端を任せてもらえるようになったので、会社に泊り込むことも多くなっていた。
12月に忙しいというのは、私にとって都合のいい事だった。12月になると街じゅうがクリスマスムードになっていくのが、たまらなく嫌だったのだ。
私はクリスマスが大嫌いだった。こんなイベントさえなければ、とずっと思っていた。
「あー、今日は久しぶりに定時に帰れるよ……」
久しぶりの2連徹で、鉛のように体が重い。大学時代は朝まで飲んでそのまま大学へ直行という事もあったが、年を取ったのか、最近は無理が利かなくなってきた。あと、何日も帰らないと同居している祖母が心配するので、たまには一緒にいてあげようという気持ちもあった。今日は春日部にある自宅にまっすぐ帰ろうと思っていた。祖父母と同居している私の家に、両親はいない。
私は、父親が40歳の時の子供だった。母親も病弱で、2人目の子供は考えていなかったせいもあり、一人っ子の私はモノも愛情もたくさん与えられて、何不自由なく育てられた。
私の子供の頃の夢は『おもちゃのまちで暮らしたい』だった。「『おもちゃのまち』で大好きなおもちゃに囲まれながら、パパとママとおじいちゃんとおばあちゃんと、みんなで楽しく暮らすの」と毎日言っていたらしい。
その当時は、私はクリスマスが大好きだった。クリスマスリースとツリーが何日も前から部屋に飾られ、当日には七面鳥の丸焼きと母の手作りの大きいケーキ、クリームシチューとプレゼント、私が大好きなものばかりが並べられる、1年で1番幸せな日だった。
しかし、大好きだったクリスマスイブの日に、私は両親を交通事故で亡くした。
両親は私に「タマキちゃんの欲しかったクマのぬいぐるみを買ってくるから、いい子でお留守番していてね」と言い残して家を出た。
雪の中、両親は街まで車を走らせていたところ、不運にも事故に遭遇してしまったらしい。タイヤチェーンを巻いていない車が、カーブを曲がりきれず、対抗車線にはみ出してきて正面衝突したらしい。
……両親は即死だった。
事故の知らせを聞いたとたんに祖母はショックで倒れ、祖父は何やら訳のわからないことを言い出した。『死ぬ』という意味など知らなかった5歳の私は、何が起こったのか全く分からず、葬儀や四十九日法要が終わった後も、何日も両親の帰りをただただ待ちつづけていた。
両親が『死んだ』ということを認識したのは、その事件から何年か経った後だった。
それから私は、クリスマスが『大嫌い』になった。
しばらく私は、何も変わらないと思いつつ自分を責めつづけた。「どうしてもクリスマスイブにクマのぬいぐるみが欲しい」って言わなければ、両親はあんな目に遭わなくてすんだんじゃないか、と思っていた。祖父母にそれを話すと「お前のせいじゃない、運が悪かったんだ」と言うが、どうしても心の中にそれが引っかかっていた。そのせいもあるのか、両親の命日の前の日である、12月23日には、決まって同じ夢を見る。その夢は、私にとって、決して後味のいい夢ではなかった。
「ああ、今日もあの夢見るのかな……」
そんな事をぼんやり考えているうちに、浅草駅のホームに電車が入ってきた。始発駅なので、恒例の席取り合戦が繰り広げられ、見事に私は勝利した。
席に座って何分も経たないうちに電車は発車し、何ともいえない生暖かい空気と独特な電車の揺れが徹夜続きの疲れた私の身体には心地よかったらしく、北千住を過ぎた頃には、既に深い眠りについていた。そして、私は夢を見た。
遠くでパパとママが私を呼んでいる。しかし、パパとママの姿は遠くてよく見えない。
「タマキちゃん、パパとママは先に行ってるよ」
「パパ、ママ、待って! タマキも連れて行って!」
私は泣きじゃくる。しかし、パパの声はもう聞こえず、ママの声だけがかすかに聞こえる。
「『わがままいわない』って約束したのに、守らなかったからよ。こないだだってウサギのぬいぐるみのお洋服、おばあちゃんにこっそり買ってもらったし……でしょ……」
ママの声も最後の方はよく聞こえない。
「もうしないから、タマキも一緒に『おもちゃのまち』へ連れてって! パパ、ママ、どうしてそんなに早く行っちゃうの? 置いていかないで!」
私は泣きながら叫んでいる。しかし、パパとママはほとんど見えなくなっていた。
「じゃ……タマキ……」
「ママーーーーー!!! パパーーーーー!!!」
ガタン、ゴトン……
眠りから醒めた私はまだ電車に乗っていた。ずいぶんと長いこと電車に乗っている気がする。今年もいつもの夢を見てしまった……
眠ってはいないが、まだ意識がハッキリしていない私だけど、乗り過ごしたんだという気配だけはうすうす感じていた。しかし自分がどこにいるかは全く分からない。車掌の鼻声アナウンスは子守唄にさえ聞こえる。
電車が駅のホームに到着する。乗り過ごした事を感じて焦っていたこともあり、とっさに電車を降りてしまった。
自分がどこの駅で降りたのか全く分からなかった。ただ、いつも降りる春日部と比べて、やけに人が少なくて、駅の周辺が真っ暗だったので、遠くにきたんだなということだけは分かった。
誰もいないホームに吹く北風が私の頬に刺さる。毎日浅草や春日部で感じるそれより、はるかに冷たいものだった。
ホームにある駅名表示を見ると、そこには『おもちゃのまち』と書いてあった。
ここは『おもちゃのまち』なんだ。ってことは、私、パパとママの所へ来てしまったの?
私はふらつきながらも改札口へと向かった。改札口は郊外の小さな古い駅という感じで、自動改札では無かった。そのノスタルジックな光景は、20年以上前にパパとママと3人で電車に乗ったことを思い出させるものだった。もしかしたらパパとママがいるかもしれないと思っていたが、改札口にはパパとママの姿は無かった。
これは現実なの? 夢の中なの? それとも……
現実と非現実の区別すらつかなくなってしまった私は、鏡を取り出して自分の顔を覗き込んでみた。半透明にもなっていないし、頭上にリングもついていなかった。
その後、足元を覗き込んだ。どうやら足は無くなっていないらしい。さらに私はほっぺたをつねってみた。
「うっ。いたたたた」
……どうやら私は生きているらしい。
私は生きている。生きているのに、なぜ『おもちゃのまち』にいるのか理解できなかった。
自分がどこにいるのかいくら考えても分からなかったが、春日部にいるときよりはるかに冷たい空気が全身を包み、このままいたらあまりの寒さに風邪をひいてしまいそうになった。
ここはどこなのか、とりあえず駅事務員室にいる駅員に尋ねてみる事にした。
「すいません、なんだか乗り過ごしたみたいなんですけど、ここってどこなんですか?」
「おもちゃのまちですが」駅員が当たり前のように、かつ、不思議そうな顔をして答える。
「『おもちゃのまち』なんて駅名、実際に存在するわけないじゃないですか。冗談言わないでくださいよ」
今までにこやかだった駅員の表情が一瞬険しくなった。駅員は奥から何やら取り出して私に見せてくれた。それは、東武鉄道の路線図だった。駅員は『おもちゃのまち』を指差して、私に説明を始めた。
「お客さん、酔っ払うのもいいかげんにしてください。ここは、東武宇都宮線の『おもちゃのまち』駅です。冗談じゃなくて実際に存在するんです」
ここは本当に『おもちゃのまち』だった。
路線図を見ると、春日部からはかなり遠く、東武宇都宮駅から数駅手前のところだった。
……うわ。何てこったい。
あまりの予想外の事態に、私は言葉を失った。一気に現実モードに引き戻されたものの、何をどうしたらいいのか分からなくなっていた。
私は、実際に『おもちゃのまち』が存在する事も衝撃的だったが、それよりも自分がこんな遠くまで乗り過ごしてしまった事の方がはるかにショックだった。
どうやって帰ればいいんだろう、っていうか、まだ電車あるのかな……?
どうしたら良いか分からず呆然としている私を見て「お客さん、どこで降りるはずだったんですか」と駅員が優しく声をかけてくれた。
私は浅草から乗って春日部で降りようとしてここまで来てしまった事から始まり、実は酔っ払いではなく2連徹明けで意識が朦朧としていた事、最初『おもちゃのまち』の表示を見たとき、夢の続きだと思っていたことなどいらぬ事まで喋っていた。
駅員はくすくす笑いながら私の話を聞いている間に、春日部までのルートを調べていてくれた。まだ夜8時過ぎだったので、10時前には春日部に到着できるとのことを知り、かなりホッとした。最悪、宇都宮まで行ってビジネスホテルか健康ランドにでも泊まって、翌日餃子を食べて帰る……なんてことまで想定していたからだ。
「ありがとうございます」とお礼を言って反対側のホームに行こうとしたら、駅員に呼び止められた。
「お客さん、乗り越し精算、片道780円だから往復で1560円ね」
私はとっさに財布を開けた。財布の中には野口さんも樋口さんも福沢さんもいなかったのでかなり焦った。
「げ。足りない……」
給料日前だったので、私の財布には900円しか入っていなかった。帰りの電車賃すら捻出できない私は、再び呆然としてしまった。
駅員に再び笑われながら「今回限りだからね。内緒だよ」と言われ、片道分をおまけしてもらった。ついでに、駅員が自分で飲もうと思っていたらしい缶のホットコーヒーを「これ、あげます。もうこんなところまで来ないように気を付けてくださいね」と言って私に手渡してくれた。
そして私は、『おもちゃのまち』発の切符を持って反対側ホームで電車を待つことにした。
誰もいないホームに吹く北風が私の頬に刺さる。しかし、駅員の粋な計らいのお陰で、風が吹いても切符を持つ私の手はじわりと温かい。
どうやら電車が来るまであと5分くらいかかるらしい。私はホームで待っている間に、自宅に電話をかけた。
「もしもし、おばあちゃん? タマキだけど」
「タマキ? 今日は早く帰ってくるって言っていたのに、どこにいるんだい? 今日はあんたの大好物の『きんぴらごぼう』作ったから、早く帰っておいで」
「実はね、今『おもちゃのまち』にいるんだ」
「……え? じゃあ、あんた、もしかして『あの世』から電話しているのかい? 鏡見て半透明になったりしていないかい? 頭に変な輪とかくっついていないだろうね? 足もと見たかい? ちゃんと足はあるんだろうね。くわばらくわばら」
血が繋がっているとは言え、何で私と同じ事考えるんだろう……
浅草駅から電車に乗ってからの、今までの出来事を説明すると、祖母はとりあえず安心した様子だった。
「3日も帰っていないから何かあったんじゃないかって心配していたんだよ。じゃあ、帰ってくるまでに、タマキの大好きな『切り干し大根』も煮ておくから早く帰っておいで」
「ありがと、おばあちゃん」
「でも、そんなきっかけで『おもちゃのまち』に行くなんて、あの世でシンイチとサワコさんが『少し力抜けよ』って言っているのかもしれないね」
「そうかな?」
「そうだよきっと。あんた少し仕事に気合入りすぎて周りが見えていなかったし、命日の前日には、いつものあの夢を見るんだろ? たまにはこんな『サプライズ』でもあれば気分転換になるって思ったんじゃないの、あの世で」
「……そうかな。パパとママは私を見てくれているのかな」
「そうだよ、見てるに決まってるさ」
「でも、熱中すると周りが見えなくなるのは、パパとおばあちゃん譲りだよ、きっと」
「そんな悪態ついてると、また乗り過ごすよ。気をつけな」
「私だってそんなにバカじゃないもん!」
宇都宮方面からホームに上り電車が入ってきた。
私は電話を切り、電車に乗り込んだ。途中で乗換えが必要とのことなので、気合を入れて起きていた。人がほとんどいない電車の中で、私は人肌の温度までぬるくなってしまった缶コーヒーを飲みながら、こういう乗り過ごしもたまにはいいかな、と思っていた。缶コーヒーが喉を通ると、心も一緒に温まった。私はちょっとだけクリスマスが『好き』になっていった。
無事に乗り換えも済ませて、あとは春日部で降りるだけだった。
……降りるだけだった。
……そう、『降りる』だけだった。
私の背後からクスクス笑う声がした。はっとして私は後ろを振り返ったが、そこには誰もいなかった。
その直後、車掌の鼻声アナウンスが、突然私の耳に飛び込んできた。それを聞いた瞬間、車窓から見える明るい街並みとは裏腹に私の目の前は真っ暗になった。
私はいつの間にか、再び遠い世界へと意識を飛ばしてしまったらしい。
「次は『浅草』〜。終点です」
バカバカ、私のバカーーーーー!!!